J 「天地が自由になさって下さる。一瞬一瞬を大切に。子孫に伝わる信心。」
昭和五十七年六月十八日 朝の御理解
御理解 第五十九節 「習うたことを忘れて、もどしても、師匠がどれだけ得をした ということはない。覚えておって出世をし、あの人のおかげ でこれだけ出世したと言えば、それで師匠も喜ぶ。おかげを 落としては、神は喜ばぬ。おかげを受けてくれれば、神も喜 び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃ。」
神も喜び、金光大神も喜び、氏子も喜びと、そういう喜びとはどういうおかげを言うのであろうか。そういう自分だけが喜ぶというのではなくて、自分の思うようになったから、自分だけが有り難いというだけではなくて、神も金光大神もそして自分も喜べれるというおかげは、私は、天地が氏子の為に、氏子を中心にして、働いて下さるようなおかげ、いうなら天地が自由になって下さる、というほどしのおかげを頂いてそういうおかげを、なら子にも孫にも伝えていけれる。
そりゃ、もう、金光様の信心すりゃ商売が繁昌するぞ、ね、医師で治らん病気でも治るぞといったようなものでなくて、ね、天地が自由になって下さる、天地がその氏子中心に働いて下さるそういうおかげを受けて、はじめて神も喜び金光大神も喜びめいめいも又喜びとなると思うんです。
合楽ではそういうおかげの受けられる手立てを説くのです。だから、その気になると、はあ、この生き方で行きゃおかげが受けられるなあという、その確信にみちた生き方が出来るようにならなければ、私、合楽通いの値打ちはないと思うんです。
昨日、丁度、研修前に鳥栖の上野さんのところの嫁さんがお参りをして来ました。 今度、合楽だよりの神愛欄を書いてるのです。全然信心がごさいませんでしたが、段々おかげを頂いて、鳥栖で共励会をするようになって、もう、急ピッチというでしょうか、もう、とにかく信心の有り難さに触れてきたわけです。
そして、やっぱ頭がいいんでしょうね。もう、どんどんその飛躍的に信心が、あの今度の神愛欄を読んで下されば大体わかるです信心がね。先だってからその兄弟が何か仕事するのに金を借りてその保証人になっておった。
ところが、その兄弟が払えなくなったもんだから、上野家に言ってくるようになった。これは主人に迷惑をかけちゃならんというので、夫婦でお願にきました。
奥さんがいわゆるアルバイトでもさして頂いて、自分の身内の者の借金ですから、払わして頂こうとはまっております。だからよい就職が出来ますようにというお願であった。昨日、丁度研修二、三分前だったでしょうから二時半くらいだったでしょうね。お願に参りまして、二軒にこの履歴書を出させて頂いておるが、一軒は主人の、銀行に勤めておりますから銀行の何か大変難しい、ま、本人はそう言うのです。難しい事務だそうですけれども今日はあちらにまいりましたとこういうわけ。
ところが明日からでも来て下さっていいですよと言われましたけれども、話を聞けは聞くほどなかなか、とても私では出来ないように感じたと。それで、ま、御神意を頂いて腹を決めようというのである。
一方の方からにも履歴書を出してるも、ま、大体来てもらってもいいというようなあれですけども、まだ確定してない。だからそれが、むつかしかごたるなら、その片一方の方に行きたいからとこう言うのです。
それで私は、丁度私の部屋からこちらへ出てくる時に、チラッとそれこそ見たり感じたんですけれども、鳥栖のね、何か一日放送というのがあってました。いわゆる文化サ-クルの、ま、ニュ-スが流れてました。その中にね、鳥栖の大変有名な、も、小鳥専門に撮られるというお爺さんがテレビに出ておりました。もう、なかなかの仏法僧なんかというのは、佐賀には大体いないのだけれども、それを旭山ですかね、あちらで、ま、キャッチして撮られた写真とか、又はかわせみね、谷をこう渡っていくきれいな、あれは飛ぶ宝石、飛ぶ翡翠といわれるほどにきれいな鳥なんです。それが、もう、天然色で撮ってありましたが、しかも、この、ハヤ、魚をくわえてね、その瞬間をとらえるあるんです。はあ、なかなかやっぱり、小鳥専門に撮るというならば、一つの執念のようなものを燃やして、その一瞬々を大事にしよらなけれは、いつもかつもあんなよい写真が撮れるとは思われません。
はあ、なるほど、その一事に一つの執念を燃やして熱心するとこういう、いうならば、チャンスにも恵まれるんだなあと思うてここへ出て参りましたら、その鳥栖の上野さんの奥さんが参って来とりますから、その話をさせて頂いた事でした。ね、
今度の神愛欄にあんたが書いとるようにね、金光様の御信心というのは、その一瞬一瞬を大事にするんだとね、そしてその一瞬一瞬がです、例えば、なら、私がいかに一瞬一瞬を大事にしとるかという事は、いつも、なら、今チラッと見て来た御理解があなたにこうやって伝える事が出来る、ま、それは後の研修の時に生きたお取次というのは、こういう事じゃなかろうかねと言うて、ま、話た事でした。ね、
それでその銀行の方の、ま、出来まいごたるところは出来、ま、主人の足を引っ張るような事になっはというて,いや足を引っ張りながらでも主人から引き上げてもらいながらでも、その仕事をさして頂いたがいいよと、ま、申しましたので、も、腹も決まって、も、そのまま帰ったと思っておんたんです、したらその研修の時間になったものですから 研修を最後まで頂いた。そしていよいよ腹が決まったというてここへ出てまいりました。親先生腹を決めましたとこういうのです。ね、
実は、今日その銀行へ参りましたら支店長さんが居られずに副支店長さんでしたがその方の名前が、なんと大坪栄四郎という人じゃったげな、それから自分の事を直接教えて下さる補導をして下さる方が赤司という方でした。
先生方の話を聞きながら、これはもう、神ながらなもんだと思うたち、ね。又、赤司というのはね、いわゆる熱情が司る、赤という事を熱情と日頃頂いとるわけですね これは自分が熱情さえかければ出来ると確信、も、いよいよこの事で主人の足を引っ張るかもしれませんけれども、引っ張った時には主人から引き上げてもろうて、この仕事に熱情をかけさせてもらうというお届けをして帰りました。
私はもう帰っとるもんと思うたからその、こういう事が生きたお取次だろうねというて、その人の事を皆に話して皆さん、先生方に聞いてもらっておったんです。
それを聞きながら腹がいよいよ決まった。そして思うてみれば思うほど微妙な神様の働きを受けておる、という事を感じたと。大坪栄四郎という人が今日は副支店長さんでそこに居られ、赤司さんという方から仕事の事を教えて頂く。どうですか皆さんね。昨日はその文化サ-クルの中にも、いろいろの事があっておりましたが、百名位な鳥栖の市の婦人の方達が鳥栖音頭を踊っておられる所、雨のジャンジャン降る所をその広場に水が溜まってる。私、それを見ながら思うた、はあ、これが伊万里の竹内先生ところじゃったら、こげな大事な事がいわゆる鳥栖市を宣伝するニュ-スですからね、それこそお天気にも恵まれるばってんねぇというて、ま、思った事でございましたね。天地が自由になるというほどしの、けれどもその鳥栖の上野さんの奥さんの話を聞きながらです、こういう生き方で行けば、天地が自由になって下さるという事が感じられるでしょうが。
どうですか皆さん、日頃頂いてるから感じるでしょうが、ね。自分では迷ってる、どうにも出来ない、御神意を頂いてと腹を決めてお取次を頂いたら、そこに生きた働きを頂いた。しかも鳥栖の話であった。しかも大坪栄四郎さんであった、又、その赤司さんであったというようなところからです、合楽的にぴしっとこう神様の心を受け止めておるように感じないですか、ね。そこに腹が決まるでしょう。皆さんの場合でもそういう体験を日々もっておられると思うですが、合楽でそういう体得を先ずさせて頂く事ですね。天地が自由になるほどしのね、おかげを頂く手立てを日々実験実証せて頂いておるんだとね。そういう信心を頂いて本当はいうならばね、病気が治ったの商売が繁昌したのというのではない。それは私は、神も喜び金光大神も喜びという事じゃない、それはお願をしたあんただけが喜ぶだけなんだという事になりましょうが。三者一体喜べるおかげとは、天地が自由になって下さるほどしのおかげ、なら、そういうおかげを、なら、子供にも孫にも伝えるなら絶対伝わるでしょう、ね。
いつも神様が氏子中心になって働いて下さる神様なんだ、この神様はそういう神様なんだという事を自分が実験実証し、子にも孫にも伝えていくという、そこに私は神も喜び氏子も喜び金光大神も喜びというようなおかげ、そういうおかげを体得して、実験実証積んでです、ね、それをね、忘れたわけでもなかろうけれども、子にも孫にも伝えられないといったような事では神は喜ばんとおっしゃる。おかげを落としては神は喜ばん。
そういうおかげをその実証をね、子に孫にだけじゃない、自分の周辺に伝えていくような、ね、おかげを頂く。本当にこの神様は天地を自由にして下さるほどしの神様である。とにかく願う氏子、その氏子中心になって働いて下さる神様であるといったような事をです実感していくという事は今上野さんのね、若い奥さんですけれどもその昨日のお取次をさせて頂いて、今聞いて頂いたようなお話の中からです、あっ、こういう生き方で行くという事が一瞬一瞬を大事にしていく事だな、そして神様の働きをぴしっとこう、受け止める。いつもかつもというわけでもないだろうけれども、ね例えば、あの写真家の方のあれじゃないけれども、そんなに沢山おる鳥じゃないですもんね、あのかわせみというのは、めったにおらん。おるだけでもなかなか、発見するだけでも大変ですけれど、それが、ぱっとこう魚をくわえた瞬間をとらえるといったような素晴らしいおかげもです、その一瞬一瞬を大事にしていっとらなければ、頂ける事ではないというふうに思うです、ね。
そして私が、その鳥栖の婦人会の方達が濡れながら踊っておられる音頭を眺めながら思うた。これがもし、伊万里の竹内先生とこじゃったら降りよったっちゃ降り止むばってんなあと思うた。
それは竹内先生は、天地が自由になって下さるほどしのおかげを受けておられるという事を私も知っておるから、そう思うたわけですけれども、皆さんの一人一人の上にもです、やはり天地が自由になって下さるほどしのおかげをね、頂いてはじめて、神も喜び金光大神も喜び、ね、私共自体も本当に勿体ない事であると喜べるおかげが受けられる。そういうおかげが受けられる神様である事をです、ね、自分の周辺にも子にも孫にも伝えていきたい。
いわゆる、それを忘れずに伝えていきたい。そこにいよいよ、神の喜びがある。
金光大神の喜びがあると思うです。
とうぞ。